飲酒の悩みは「正論」では解決できない

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 お酒をやめようとしている時に、自分の飲酒に繋がっているであろう「悩み」を見つけてしまった。

 そのような場合、その「悩み」はどのように解決すればいいのでしょうか。

 仮に、「自分の飲酒の原因は仕事のストレス、仕事の悩みなのかも」というケースだとしたらどうでしょう?

 強いストレスから交感神経優位の状態になっているのなら、まずは落ち着いて、冷静になって、その後客観的に自分と仕事の関係を見つめ、周りの人に相談してみて、必要ならば専門家にもアドバイスをもらう。

 例えばそんな理屈めいたことが思い浮かぶかもしれませんが、では果たしてそんなことだけで本当に悩みは解決するでしょうか?

 耐え難い悩みや不安、それをお酒を飲むことでなんとか耐えてきた。

 そういった人は多いです。

 そんな苦しい年月を積み重ねた人が、周りの人に悩みの相談してアドバイスをしてもらったぐらいで、お酒が必要なくなるのでしょうか?

 確かに悩みを周りの人に相談すれば、解決するような良いアイデアを教えてもらえるかもしれません。

 専門家に相談すれば、法律的にみた正しい答えも教えてくれるでしょう。

 しかし、良いアイデアも、正しい答えも、それだけで悩みは全て解決とはならないことがあります。

「正解はわかった……。でもできない……。」

 実際にはそんなこともあるのです。

「無茶な飲酒なんかやめたほうがいい」

 正論です。みんなわかってます。でもやめられない人はやめられないです。

「わかっている」と「できる」は違うのです。

「悩み」もそれと同じです。

 正しい答えがわかったとしても、わかっただけでは「解決できない」ことは多々あるのです。

 仕事の問題、人間関係の問題、金銭の問題、色々な悩みがありますが、どんな悩みも理論立てて見ていけば「こうすれば解決できるかも」と誰もがぼんやりとは気がつけます。

 でもそこからなのです。

 わかってもできない。

 理屈ではわかっている、でも、解決できない。

 そこから進めなくなる。

 悩みとは、今までの自分の行動パターンの限界と捉えることもできますので、悩みを解決するには、習慣を変えなくてはいけないことがあります。

 行動を変えなくてはいけないことがあります。

 考え方を変えなくちゃいけないことがあります。

 そして、それは怖いことなのです。

 いくら正論、正解を突きつけられて、その通りだと思っても、怖くてその場から前に進めないことだってあるのです。

 解決策が「わからない」のは苦しいですが、「わかっていてもできない」というのも苦しいことに変わりはありません。

 そして苦しい状況が続けば耐えきれず、またお酒を飲んでしまいます。

 悩みの解決策や答えがわかっても、行動に踏み切れなければ苦しみは続いてしまうのです。

 私が関わったお酒をやめたいという人の中にも、心の奥に、辛い思いを抱えている人がたくさんいました。

「見つめるのも嫌だろうな」というような悩みを抱えている人もたくさんいました。

 お酒を飲むことで、なんとか見つめたり、忘れたりしてここまでたどり着いたのだな、という人がたくさんいました。

 あなたがお酒をやめたいと思った時に、もしも自分の心の奥に隠していた悩みに気がついたら、その悩みの解決に必要なのは、正解でも正論でもありません。

 それとは違うものが必要になります。

 深い部分にある悩みの解決に必要なのは、

 心の奥にあるものと向き合う力と

 心の奥にあるものを受け止められる力です。

 悩みの先、心の奥に触れた時の「怖さの感情」と向き合う方法を知ることさえできれば、その後は悩みを実際に解決していくことができるようになります。

 ですので、お酒をやめるために必要になるものは「正論」ではなく、実はそんな「恐怖への耐性」だったりするのです。

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